2017.11.19
2997文字 / 読了時間:3.7分程度
帽子の中のふにゃふにゃな歴史

嘘が上手い男

 ――「英訳された羅貫中の手記」より。

    *

 私の父は、母によるとバグダード生まれの船乗りの男だったという。
 中国の田舎の港町で生まれた私は、波の響きと母が語る船乗りの冒険物語に耳を澄ませながら育った。
 人に好かれる容姿とたやすく嘘を人に信じさせる能力を母から引き継いだ私は、どれだけの人間を騙すことができるか――そして当時の私は荒んだ育から世の中を憎んでいたから――どれだけ人を陥れることができるか、そんなことに心血を注ぐ日々を過ごしていたのだった。
 とりわけ私が適性があり効率も良いと思ったのは不義密通である。
 しかし、通常であれば姦通相手の夫等には露見しない方がいいと考えるであろうが、私のような目的をもっている場合にはそれでは不完全なのだった。私は発見され、関係者一同を一網打尽に、私と同じような不幸のどん底に陥れなければ気がすまなかったのである。
 もしかすると、ただ私は孤独だっただけかもしれない……。
 そんな生活が長く続くはずはないに違いないのではないか?
 いかにも確かにその通りである。
 ある春の夕暮、私は姦通相手の夫の一味に捕えられ、港町の路上で埃まみれになりながら袋叩きにされたのだった。
 ――あと幾許かで俺はもう思考することもできないだろうな、なぜなら考えるための脳味噌その他の器官が、跡形もなく破壊されてしまうだろうから……。
 そんなことを、私は何度も今度こそは死ぬという予感が繰り返される苦痛のなかでぼんやりと考え続けていた。
 そして私は、おそらく多くの死にゆく男たち、女たちと同じように、過去の出来事を思い出していた。
 母がかつて私に語った、おそらく私の実父でもあるシンドバードという名の回教徒の男の冒険譚。
 何度も死ぬのが当然だったというような危難に出会いそして乗り越えた、中国にたどり着いたのもそんな冒険的運命の気まぐれの結末にすぎなかったのだ――とこの男は彼女に語ったという。
 また彼女は、この船乗りの男のような笑い方をする人間にはこれまで一度も出会ったことはない、あれは特別な存在の人間かもしかすると人間とは別の種族に属する存在だったのかもしれない――といったようなとりとめもないことについても、いつまでも飽きることなく語り続けていた。
 その時間の蝋燭の炎のゆらめきの反復と、繰り返しの多い女の長話の再現が、私のもう一つのそれまでの人生の目的だったのではないだろうか?
 足の感覚が完全に失われた――足が原型を留めているのか、繋がっているのかもよくわからない――気がした頃、私はそんなことに思い至っていた。
 私への暴行を指示しているはずの男は王だったか張だったか思い出すのも億劫であるが、彼よりは大分若かったその妻の女の方はというと、林という姓だったことについて今もまだ忘れずに覚えている。
 この林という女は私よりよほど上流階級出身の女で、非常に文化的でまた文学好きな女だった。
 彼女は私に会うたびに、しばしばこんなことを勧めた。
 ――あなたの話はとてもおもしろくて、またどんなあり得なさそうな内容でもあなたの口にかかると本当にあったことのようにありありと感じられる。だから、あなたは無頼な生活はもうやめて、もう少し学問をして文学の道を志すのがいいんじゃないかしら?
 もし、私がこれから死ぬまでのわずかの間に頭の中で一つ作品を完成させて、今朝、首をつって死んでいたところを発見されたというこの女にあの世で話してやったら、どんな反応をしてみせるだろうか?
 彼女は喜ぶか、私を恨んでいるか、悲しむか――といった世界の謎への憧れ。
 世界の真実を、自分はいま一つずつ、一片ずつ、確かに手に取っていっているという様々な実感。
 私が愛着していたことは、まだ自分が五体満足だったころ自覚していたよりもずっと多くあったらしいということを、私は実感しつつあった。
 つまり、自分が死んで失うものは、思っていた以上に多かったという見込み違いに今更ながら気づいたということでもある。
 私は彼女と最後に会った夜、彼女が好みそうな、あるいはより信じたいと考えていそうな短い物語を創り上げ、語ってみた。
 彼女は、こういう話はとても好きだ、と私に囁いた。

    *

 ――蜀の丞相にして大将軍諸葛亮は魏を滅ぼす前、とある山を通りがかった。この山の名を関羽に尋ねると、関羽は臥龍山だと答えた。諸葛亮は悠然と微笑みながら「ありがとう」と関羽に声をかけた。
 その夜、蜀軍は、虎や竜をはじめとした化物の大群の襲撃を受けた。
 蜀の兵士はことごとく食われてしまい、関羽をはじめとした五虎将もやがて力尽きて倒れ、やはり瞬く間に食われて跡形もなくなってしまった(そこで林氏は、まあ、とかかわいそうといった合いの手を入れたが、私はそれには答えなかった)。
 怪物の大群は、最後に残った諸葛亮を探した。
 その肉は一番うまいに違いないと彼らは殺気立っていた。しかしかなり長い間、彼らは諸葛亮を見つけることができなかった。
 諸葛亮はどこにいたのだろうか?
 諸葛亮は、星空の下、山の麓の草むらの中で、ひとり横たわって、寝息をたてて眠っていた。
 その静寂さに包まれた眠りは、諸葛亮がまだ劉備に出会う前の、一村夫だったころの昼寝に非常に似ていた。
 やがて化物たちは諸葛亮を発見した。
 彼らは先を争って取って食おうと殺到したが、見えない透明な壁のようなものに阻まれて誰も諸葛亮の近くへ到達することができなかった。
 ここまで私が物語ったところで、林氏が口を挟んだ。
 ――その話は私も持っている本にある故事をもとにしたのね。でも、もとの話よりずっと私好みになっていると思う。これからどうなるの? 私の本だと、このあと怪物たちはみな諸葛亮の道術に恐れて平伏して今後の永遠の忠誠を誓うのだけれど……。
 私は、続きはまた次に会ったときに話す、ともったいぶっておいた。この時まだその先は考えていなかったからである。

    *

 暴行中の回想もこのくらいにとどめておこう。
 この暴行の最中、私の運命は二手に分かれることとなった。
 一つ目の運命の私は、現在も「三国志演義」などの作者羅貫中として知られている私である。この時、たまたま通りがかった若き日の施耐庵に助けられ生き延びた。
 しかしこの私は名声は残したが、かわりに転生するための魂の器官は失ったままだった。
 もう一つの運命の私は、この手記を書いている私である。
 こちらの私は施耐庵に助けられることもなく、そのまま殺され、海に沈められたのであるが、その代わり、もう一つの運命の私の方の迷子になった転生器官も引き継ぎ、死後は彼の分まで転生し続けたのである。

    *

 先日、私はひょんなことからシンドバードの生まれ変わりだと称する男に、イスタンブールのホテルのロビーで出会った。
 我々は同じイギリス人として、向かい合ってコーヒーを飲みながら、アラビアンナイトやシェイクスピア――興味深いことに、私も彼もシェイクスピアは自分が転生した人物だと考えていた――、三国志演義、プルーストの小説……そんなものについて長々と語り合った。
 私達はとても話が合った。
 ひょっとすると、シンドバードは、私の父ではなく私だったのかもしれない。

(完)

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