2017.11.19
3150文字 / 読了時間:3.9分程度
帽子の中のふにゃふにゃな歴史

ザナドゥのマルコ・ポーロ

……さずけられた任務のことだけしか話せないようだと、フビライ皇帝はきまって「用むきについての報告よりも、お前の見てきた各地のめずらしいものや状況などをきく方がよっぽどましだ」というのを、彼はすでに知っていた。大ハーンは未知の国々の話をきくのがすきだったのである。そこでマルコは往復の途中、非常な苦心をして、訪れた国々のいろいろなことを、すべて大ハーンに話せるように集めた。
               ――マルコ・ポーロ『東方見聞録』より

 マルコ・ポーロによる手記。

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 クビライ・ハンが築いた都ザナドゥに滞在中、私は宿舎で暇さえあればペンを走らせて様々な事を書き留めていた。
 たとえば、クビライ・ハンに気に入ってもらえそうな不思議な話、またヨーロッパに帰ってから出版しようと考えている本の構想等である。

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〈チンギスハンは、中国の高名な道士、丘長春をモンゴルの自らのオルドに招いた。チンギスハンのオルドは綺羅びやかなものであった。丘長春は、壺中天、桃源郷といった中国の伝統的な故事成語を思い出ながら、チンギスハンに会うための長い道のりを歩きつづけていた……〉

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 ところで、世界最大の宮殿はまた世界最大の広大さを持たなければならない、というのが私の考えである。そのため、この覚書に登場するチンギス・ハンの住む宮殿は、ほぼ無限に近いほど巨大な規模であった。
 それで丘長春は、いまだにチンギスハンの前にたどり着くことができないのではないだろうか。

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 私はここザナドゥにたどり着く前に、丘長春とはちょうど逆向きの旅を行っている。
 東の果に極東の世界がひろがっているように、西の果には極西の世界が存在するが、その世界はちょうど鏡像のようなものであり、ヤヌス神の双つの顔のように互いに似通っているのだ――とかつて私はヴェネツィアの街にいたとき考えたことがあった。
 いま、この目でいずれの世界も目にして私はどう考えるか? 実際のところ、互いにそれほど似通っていない街の姿を目に焼き付けて。
 だが、私はかつての自分の意見を否定しようとは思わない。要するに、東西いずれの世界も、まだそのような完全さへ向かって全力で走っている最中にすぎないとは考えられないだろうか。

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 私は今月中には、またクビライ・ハンに再び面会できる予定である。
 丘長春とは、本来は、クビライ・ハンの祖父チンギス・ハンに招かれた前世紀の住人であるが、しかし私の心のなかにふらふらと迷い込んでからというもの、いまだザナドゥの街をさまよったまま、チンギス・ハンの元へたどり着いてはいない。
 その疲れ果てた姿を見ているうちに、私はやはり気の毒だと思うようになった。そういうわけで、私は彼をチンギス・ハンのオルドへ行く道を教えた。
 彼は私に頭を下げると、ザナドゥを去っていった。

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 チンギス・ハンに会うことができた丘長春は、何をこの巨大なモンゴル帝国の皇帝に語ったのだろうか。
 それに関する覚書。
〈ある日、丘長春は、チンギス・ハンに請われて、不思議な中国の伝説を語った。「唐の時代に、玄奘三蔵という仏教の僧がおりました。彼は猿の妖怪を連れて、インドへ仏教の経典を取りに行きました……」
 しかしチンギス・ハンは、その話はおもしろくなさそうだといって丘長春の言葉を遮ったので、彼はそれ以上玄奘三蔵の物語を続けることはなかった……〉

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 我々ヴェネツィアのポーロ一族がモンゴル軍にもたらした新兵器回回砲が襄陽の城壁を攻撃している時、私はその城壁が見える近くの丘の石の上に腰をおろして、ひとり城壁の崩れていく様子をぼんやりと眺めていた。
〈パンくずのように城の外へぽろぽろとこぼれていく城壁の残骸〉
 ――そこまでノートに書き留めたところで、すぐ近くに何者かが立っている気配に気がついた。
 その姿はモンゴル人には見えなかったので、私は振り返って中国語で尋ねた。
「あなたは中国人ですか?」
 当時私はまだかなり中国語はおぼつかなかったが、それでも言葉は通じたのはありがたかった。
「はい私は中国人です」
 なぜ、私に話しかけたのかとさらに問うと、
「あなたがちょうど椅子代わりに座っているその石ですが、それは私が生前建てた石碑なんですよ。このままここに放置しておけば野蛮な兵士たちに完全に破壊されてしまうだろうと思い、回収しに来たというわけです」
「生前? ということはあなたは死んでいるのですか?」
「歴史上の人物はみな死人です。我々はみな歴史内存在といえるわけですから、我々はみな本来死人です。そうでないと考えるのは妄想にすぎません。我々の教えは、妄想をする莫かれ、というのですよ、異国の方……」
「なるほど。それでは、〈異教徒はこう語った〉の貴重な実録としてメモを取らせていただきますよ」
 そう答えると、私は急いでメモを書き留めた。
「おや、こちらの代わりに言葉を広めてくれるとはありがたい限りですな」
 そういうと、中国人は――身につけているものから仏教の僧侶だとわかる――私のノートを覗きこんだ。
「しかし、何語かさっぱりわかりませんな。文字なのかすらも。ですがよろしい。あなたは仏の教えの胡人語訳まで、いままさに作ってくれているということだろう。ちょうどいい、これから経典を説くから、すべて翻訳して広めてくれないだろうか」
 私は、内心ずうずうしい幽霊だと思いつつも、それは表に出さずにできる限りにこやかに答えた。
「よろしいですよ。珍しい話、貴重な話でしたらいくらでも書き留めますし、できるかぎり広めるつもりです……」
 私が取り入りたいクビライ・ハンは珍しい話、未知の話を何より好むことから、このような対応をしたのである。
 こうして私は彼の言葉を、私が重要だと思った部分だけ書き留めたのだった。

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 しかしながら、である。
 現在の中国を支配するモンゴル人は遊牧民である。
 襄陽からザナドゥへの道中、通りすがりの彼等の山羊に、私のノートの大半のページは食べられてしまった。
 わずかに残された書付。
「莫妄想」
「開門落葉多」
「喫茶去」
「心外無別法」
 私に請われたその僧侶が彼の宗派の信仰について中国の文字で書いたこれらの数枚の紙片だけ、ノートとは別に保管してあったので無事だった。
 しかし私が読めなければ、あるいはその意味がわからなければ、どうしようもないのではないか?
 結局のところ私は、画家のように異国の文字を模写するしかなかった。しかし、そもそもそれはあらゆる文字を読むということの本質ではないだろうか。

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 こういった事情からこの覚書は、改めて記憶と合理性にもとづいて再構成したものである。

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 そういえば、私は襄陽の幽霊の僧侶に名前を尋ねたことがあった。
「あなたの名前はなんですか?」
「私は無名の一僧侶にすぎません」
「でも、たしか中国の僧侶は仏教風のニックネームを名乗る風習があるでしょう。中国の風習を調べていたときに知りましたよ」
「ニックネーム……? それもまたかりそめのものにすぎません。本来は無なんですよ、我々の教えも我々自身も」
「そうですか。ただあなたはおそらく生前は高名な僧侶だったのではないですか?」
「そんなこともありません。私は無名の一僧侶でしかないのです」
 彼は最初と同じような返答を繰り返すだけだった。
 私は彼に名前や素性を聞くのを諦めた。

                         (完)
 

 
 

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