2017.11.19
3537文字 / 読了時間:4.4分程度
帽子の中のふにゃふにゃな歴史

衛瓘と四不象が聖夜に出会う物語

 すでに蜀滅亡済みの西暦二六三年、一二月二十四日の夜のことである。
 魏の衛瓘《えいかん》は、成都の宮殿の庭でひとり散歩を楽しんでいた。
 この日衛瓘は、鄧艾を乗せた檻車を洛陽へ送り出す大仕事が終わり一息つきたくなったため、久しぶりに五石散を取り出し、服用後の散歩をしていたのである。
 その五石散はまだ何晏が生きていたころ譲り受けたもので、衛瓘はその限られた五石散を少しずつ使い続けていたのだった。

   *

 散歩中の衛瓘の前に姿を現す月下の成都の宮殿は、光り輝く金細工さながらのきらびやかさだった。また、吹きすぎる風の音は、都のどんな名手が奏でる音楽よりも美しく聴こえるのだった。
 ――このように、五石散服用中にその中を歩く世界は、視覚、聴覚、あらゆる種類の感覚に訴える、さながらひとつの総合的な芸術作品の如くである、ということができるのではないだろうか……?
 造化の働きの素晴らしさに感嘆しつつ、また衛瓘は考えた。
 ――五石散を服用すると、自分がいつの時代にいるか、あるいはいるつもりでいるかといった認識や感覚といったものはすっかり溶かされてしまうが、この働きは歴史や時間といった我々が免れられない幻覚そのものをを消し去ってしまうものではないだろうか……?
 そんなことを考えながら衛瓘は、角を曲がったり、門をくぐったり散歩を続けていく。
 生来彼は病弱な性質であったが、五石散を服用している時にかぎり、寒さや疲労、痛みといったものをまったく感じなくなった。
 またそれだけではなく、五石散の効果が続いているあいだは――彼の場合体質的に――視力、聴力、筋力といった身体的な能力が総合的に向上するため、塀等も軽々と飛び越えていくことができるのだった。

   *

 そんなこともあり彼は何晏の死を内心では惜しんでいたが、しかし長いあいだ誰にも話すことはなかった。

   *

 塀を五回ほど飛び越えたあたりで、衛瓘は最初の疲労感を覚えた。
 ――そろそろ帰ることを考えないと、薬の効果が切れる前に部屋に戻れなければ凍死してしまいかねないな……。
 いまは五石散の効果で暑いほどであるが、元来は十二月の夜の寒さである。
 それから衛瓘は、部屋に帰ってからとりかかる仕事について考えはじめたが、それは都の大将軍司馬昭に送る報告書の仕上げについてであった。
 ――難題だと思われた鄧艾の捕縛にもどうにか成功した。だが、鄧艾が命じられていた姜維の捕縛の件はまだ宙に浮いたままなことも忘れてはならないだろう。姜維はいま鍾会のところにいるが、わしの次の仕事としては、どうにかして鍾会を欺き、姜維の身柄もまた確保して都に送り届けなければならんだろうな……。
 衛瓘は、姜維を都に送り届ける策を練りつづけた。
 ――五石散は、副作用はあるが、頭の回転も向上する。鍾会は警戒するべき知謀の持ち主ではあるが、どうやら手持ちの五石散を、どういうわけか、大将軍にすべて進上してしまったらしい……。何故だろうか? あの薬の性能を知っていて、いまさら大将軍に取り入る必要もない立場のはずだと考えるとひっかかるが。五石散の価値に引き合うほどのなにか別の目的があるのだろうか……?

   *

 衛瓘は、鍾会がすでに目の上のたんこぶでしかなくなった司馬昭を暗殺するために、贈った五石散に毒を混ぜていたことに司馬昭の死後気づくが、それはまた別の話である。

   *

 ふと衛瓘は、上空を鹿に似た生き物が飛んでいる事に気づいた。
 衛瓘は声をかけたが返事はなかった。
 そこで、落ちていた石をひろうと生き物めがけて投げつけた。石は生き物に命中した。
 そこではじめて衛瓘に気づいた鹿的な生物は、地上に降りてきた。
 衛瓘は目の前に降り立った生き物を見て、これは鹿に似ているが鹿ではないな、と思った。
「鹿のようで鹿でない、馬のようで馬でない、また牛のようでも牛ではないし、驢馬のようであっても驢馬ではない。つまり、四不象《しふぞう》か……」
 衛瓘がつぶやくと、その四不象は人間の言葉を喋ってこたえた。
「私は聖獣です。これから急いで配達しなければならない届け物があるのです。なぜ私の邪魔をするのですか?」
 そう詰問されたので、衛瓘は、
「いや、邪魔をするつもりはなかったのだ。ただ、珍しい姿をしていて呼び止めたのに無視するものだから、これなら反応があるかとちょっと石をぶつけてみただけだ」
「そんな理由でですか?」
「届け物とは何かね?」
「西に住む太上老君のところへお届け物です」
「太上老君か。わしも一度会ってみたいな……」
「乗せませんよ。そんな余裕どこにもないですから」
「そうか、それは残念だ」
「だいたいあなたの投げた石のせいで結構痛いんですよ」
「それは悪かった。怪我をするほどではなかったと思うが」
「血は出なくても痛いものは痛いんです。悪いと思っているなら、痛み止めとか出してくれませんか?」
「ふむ……。部屋へ戻れば五石散が少し残っているが」
「五石散は僕の体質にはあわないんで結構です。あれは使ったあと散歩しなければならないでしょう。僕みたいに空を飛ぶ四不象には副作用がきついんです。今日は忙しい日だし地上でのろのろ歩いている暇はないですしね。じゃあ別のものをください」
「そうか、それなら仕方がないか……。といって手持ちの薬というと、持病の心臓の薬、肝臓の薬、胃薬、虫よけの薬、あとは血圧の薬くらいしか今は持っていないな」
「それだけあればあなたは十分薬をたくさん所持している人ですよ。薬屋さんかなにかですか? じゃあ全部一個ずつもらえますか? それだけあれば一つくらいは僕の打撲にもきくと思いますから」
「ふむ、それなら全然問題ない。これらはみなわしの普段使いの薬だから」

   *

 しかしすべての薬を一度に飲んだ四不象は、薬の飲み合わせが彼の体質にとっては悪かったためか、すぐに意識を失ってしまった。
 衛瓘は放置するのも忍びないと思い、そのまま四不象を担いで、自分の部屋まで戻った。
 ――四不象は、鹿でも馬でも牛でも驢馬でもないが、といって獣には違いない。部屋にあげるよりは馬小屋の寝藁の上に寝かせたほうがいいだろうか?
 衛瓘はそう考えたものの、すでに五石散の効力は部屋に戻った時点ではほぼ尽きていたため、もはや四不象を動かす筋力は残っていなかったので結局諦めた。
 四不象はしばらく意識を失ったままであったが、日付が変わる前には目を覚ました。
「ああ、今夜中に太上老君のところにたどりつかないと駄目なんだ。もう出ないと……」
「薬の飲み合わせが悪かったようで大分具合が悪いようだが、無理して大丈夫かね」
「そういえば昔、先生にいろいろな薬を一度に飲んじゃ駄目だと教わったことを思い出しました。だからあなたのせいだとは思っていませんが、それでも薬屋さんなら少しは教えてくれたっていいじゃないですか」
「いや、気が付かなかったことは申し訳なかった。とはいえ私は薬屋ではないが……」
「本当に? いや、そんなことを話している場合じゃなかった。じゃあ僕はもう出発しますね、じゃあ行ってきます」
 四不象はかなり急いでいたらしく、慌ただしく立ち去っていった。

   *

 衛瓘は、四不象が床に落としていった珍しいものを見つけた。
 棒に三つの輪がついている。衛瓘が拾って手に持つと、輪はそれ自体が意思を持つかのように自動的に動きはじめた。
 衛瓘は、もしかするとこれは慣れれば自由自在に動かせるかもしれない、と考えた。

   *

 年が明けて正月、元宵節の翌日。
 鍾会は、姜維とともに成都で、逆賊司馬昭を倒すという名目で挙兵した。
 衛瓘は、鍾会から味方につくよう誘われたが、乗らなかった。
 ただ衛瓘は、これは姜維を捕縛する好機だとは考えた。
 結局のところ、鍾会の計画は失敗し――五石散付きの衛瓘の知謀の方が鍾会の謀略を上回ったと、結果的にはいうことができるかもしれない――、鍾会らが籠もる成都の宮殿は魏の兵によって包囲された。
 衛瓘は五石散をふたたび服用し四不象が落としていった宝貝を持つと、姜維を探し求めて走り回った。
 衛瓘は、この宝貝――後に衛瓘は、戻ってきた四不象からその名前が遁竜椿だということを教えられて返した――を使って姜維を捕縛し、蜀征伐のもとの詔勅にあったどおり、姜維を捕らえて洛陽に送ろうと考えていたからである。
 周囲の人間は、普段の衛瓘とはあまりに違う動きのために、誰も彼だとは気づかなかった。

   *

 この、衛瓘の計画は果たして成功するだろうか?

                         (完)

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