2017.11.19
3365文字 / 読了時間:4.2分程度
帽子の中のふにゃふにゃな歴史

暗い諸葛喬と悪質な馬鈞のクロニクル

  ☁

 後漢の建安四年(204)、諸葛喬は諸葛瑾の次男として生まれた。
 兄には諸葛恪がいて、諸葛亮は叔父にあたる。
 幼少のころから兄諸葛恪とともに評判が高かかったが、概して、才能では諸葛恪に及ばないが性格はより優れている、という評価だった。
 はじめ、諸葛亮は子がなかったため諸葛瑾に次男の諸葛喬を跡取りに欲しいと申し出、諸葛瑾はその主孫権の許可を得ると諸葛喬を諸葛亮のもとに送った。
 蜀の丞相諸葛亮の嫡子として、順調な人生を歩んでいた諸葛喬に転機が訪れたのが、蜀の建興五年(227)である。
 諸葛喬は二十四歳だった。
 この建興五年とは、養父諸葛亮が北伐のために漢中に駐屯した年でもあり、また諸葛亮に実子諸葛瞻が誕生した年でもある。
 諸葛亮の命令に従い漢中で輸送の任にあたっていた諸葛喬は、弟の誕生の報せをきいて、なんともいえない暗澹とした気分におちいった。
 彼は輸送の部隊を統率しつつ、牛や車や船のような形にもみえる浮雲が流れていく蒼天を見上げながら考えた。
「……これですぐに自分の立場が危うくなるとは思わないが、未来が不安なことには違いない。それに、何をやっても結局父親の七光と思われつづけるのも、なんだか面白くはないしなあ。こうやって桟道をこわごわと進んでいると、谷底に吸い込まれていきそうな錯覚を感じるのは何故なのか、その疑問をつきつめていきたいな。あるいは、谷底に落下してもまた浮上できる機械は作ることはできないだろうか?」
 この頃、彼はしょっちゅうぼんやりしていることもあり、何回も実際に落ちそうになっていた。
「その辺の発明も、もう少し凝ってみたいなあ……。今使っているこの輸送のための試作品にはまだ正式な名称はないが、私が発明した機械を父が改良してまた私が手を加えていく――ということの繰り返しで作られている。だから、これは確かに私だけの発明品だというわけでもないが、父だけの作品というわけでもないはずなのに、世間では私は手伝っているだけの扱いになっているようだし、いまの私以上に世の中に不当に扱われ不遇な人間はいるのだろうか?」
 諸葛亮に対するの漠然とした不平不満を誰にもいえるわけもないことはわかっていたので、彼はそれを自分の心のなかに留め、誰にもその不満を漏らさなかった。
 ただし、それは賢明な判断ではあったが、彼の心や健康を蝕む原因ともなり、翌建興六年(228)、諸葛喬は病に伏せってしまうことになる。
 父達が既に不在となった漢中の地で、諸葛喬は病床のなかで、夢を見たり未来を憂いたり発明の続きを考えたりを繰り返していた。
 発明の続き――。
 諸葛喬は発明のことを考えているときが何より幸せといった人物だった。
 諸葛亮も優れた発明家として名高かったが、おそらく、この一族のなかでもっとも発明を愛好したのは実際は諸葛喬だったのではないだろうか?
 また、諸葛喬の将来に対する不安のなかには、父諸葛亮の後継者という人生は、心ゆくまで発明に没頭することは許されないのではないかという危惧も含まれていた。
「父は実際優れた素質を持っているが、他にもやることが多すぎて充分にその才能を発揮できているとはいえないではないか? 自分もそんな風になってしまうとしたら、耐えきれるだろうか?」
 諸葛喬は、病のため皮膚のあちこちにできた疱疹をときおり無意識に掻きむしりながら考えつづけた。
「……去年、桟道で思いついた構想の行き詰まりの打開策をいま閃いた。熱があると思考自体もうごきは鈍くなるが、だからといって瞬発力的なものまで鈍るわけではない。痒いのは思考の邪魔だから根絶やしでいいが……。北伐に参加できないのは、功績をたてられないという点で自分は運が悪いと思っていたが、この構想が実現できるならもしかすると悪くはないめぐり合わせだったかもしれない」
 この時、諸葛喬の脳裡にはひとつの機械が浮かんでいた。
 この浮かんでいたというのは文字通りの意味であり、牛か車か船のように見える機械が、谷底から自動的に浮上しているのだった。
「この飛行型木牛が完成すれば、戦争と補給の概念は画期的に変わるだろう。父も姑息な人ではないから、さすがに飛ばすことができたら、私の功績だと認めてくれるとは楽観している。父も木牛流馬を動かすことはできても、飛ばし方は思いついていないようだから……」
 諸葛喬は、久しぶりに明るい未来が見えたと思い、枕に頬を載せたまま微笑んだ。
 思い立ったらすぐ行動に移さないと気がすまないせっかちな性質でもあった諸葛喬は、なかば無理やり起き上がると、誰の制止の言葉にも耳を貸さずに、自分の工房にまっすぐ向かった。
 そうして黙々と自分だけの手で、天啓のような閃きのままに機械を仕上げていき、翌日には完成させたのだった。
「よし、完成したぞ。さっそく試運転だ」
 諸葛喬は病人とは思えないようなきびきびとした動きで歩き回り、ほとんど恍惚とした表情で自分の作品に見とれていたが、やがて外に持ち出すと自らその機械に乗り込んだ。
 そうして、その発明品は構想どおり、ゆっくりと上空へ浮上していったのだった。
 上空から眼下にひろがる山や谷を見下ろしながら、諸葛喬は考えた。
「……弟も生まれたことだし、このまま父の下にいても自由はないかもしれない。もっと自由に生きたくなったし、このままこの機械が止まるまでどこかへ旅してみるのもいいかもしれない」
 とはいえ諸葛喬は用心深さも持ち合わせていたから、一旦地上に戻ると、自分に似た死体を庭の池に沈め、また遺書もしたためた。
 そうして自分が死んだようにみせる偽装を終えると、ふたたび発明品に乗り込んだ。今度は本当に二度と戻らないつもりで、手持ちの発明品の覚書なども持ち込んだ。
 こうして諸葛喬は自らの空飛ぶ発明品に乗り、蜀の地を後にしたのだった。
 蜀では建興六年(228)、漢中で諸葛喬は病死したこととなっている。

  ☁ ☁

 諸葛喬が降り立った場所は魏だった。
「まあ、父や兄のいる呉に戻るとかそういう消極的なのは私の趣味に合わない。というか、呉にはあのめんどくさい兄がいる以上、それなら蜀に留まったほうがまだましだ。それよりは、このなんの後ろ盾もないこの地で偽名を使い、自分の才能だけで成り上がることができれば、そうすればもう親の七光りだとか疑われたりしなくてすむのではないだろうか」
 また不思議と疱疹も高熱も消え去っていたので、あれは蜀か漢中の風土病だったのかもしれないと諸葛喬は考えた。
 ここで、馬鈞という名の自分に容姿がよく似ている男と取引をしてこの男の名前と経歴を手に入れると、それ以降、彼は馬鈞として人生を送るようになり、皇帝に様々な発明品を披露したり自分は諸葛亮よりも優れた発明家だと嘯く変わり者として名を知られるようになった。
 馬鈞は実際にいくつもの歴史に名を残すような発明品を残した。
 だが、なかには、歴史の表舞台から消えた発明品もあった。

  ☁ ☁ ☁

 時は流れ咸寧五年(279)十一月、すでに蜀と魏を滅ぼしていた西晋は、いよいよ呉征伐を開始した。
 当時すでに馬鈞は死んでいたが、この時はまだ彼が発明した空飛ぶ機械は密かに保管されていた。
 翌太康元年(280)二月になると、呉征伐を任された一人である杜預は、この発明品に配下の周旨を乗り込ませ、長江の上空を飛んで渡らせ、対岸の楽郷を空襲し、呉の守将孫歆を大いに驚かせた。
 この時の孫歆の驚愕の大きさについては、「晋書」杜預伝に次のように記されている。
   呉都督孫歆震恐、與伍延書曰、「北来諸軍、乃飛渡江也。」
  (呉の都督孫歆 は恐れ慄き、同僚の伍延に手紙を送った。「北岸の晋軍は空を飛んで長江を渡ってきました。」)

 ただし、この空飛ぶ機械はこの活躍を最後に、歴史だけでなく中国からも姿を消してしまった。
 そのため、馬鈞の発明家としての名声も、当人が望んだほどには得られなかったのである。

                                 完✈

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