2017.11.19
3228文字 / 読了時間:4分程度
帽子の中のふにゃふにゃな歴史

ある書きかけの楼玄伝について

「孫皓は楼玄の名声が高いのを憎んで、楼玄とその息子の楼拠とをさらに強制移住させ、交阯の部将の張奕のもとにあずけて、戦いの中で手柄をあらわすようにと命じたが、一方では秘かに張奕に命じて二人を殺害させようとした。楼拠は、交阯に着いたあと病死した。楼玄は、身ひとつで張奕に従って不服従民たちの討伐にあたり、武器を手に山野を跋渉した……」(「楼玄伝」より)

          📘

 おそらく275年頃のことである。
 呉の楼玄は、皇帝孫皓の怒りに触れ、僻地の交阯に流され一兵卒となった。
 一緒に流された息子の楼拠は慣れない境遇からまもなく病死したが、楼玄は――おそらく孫皓の予想に反して――まったくそんなことはなかった。
 ある日の夕暮、仕事から戻ったばかりの兵卒の楼玄が庭に置いた粗末な木椅子に腰掛け、汗を手巾で拭いながらひとりくつろいでいると、一人の見慣れない男が近づいてきた。
 若い書生風の男である。
 楼玄と目が合うと、男はすぐに、
「楼玄を探しているのだが」
と声をかけてきた。
「楼玄は私だが、何の用事かな。君は、陛下から賜る死を司る使者か何かかね」
 座ったまま楼玄が男を見上げて問い返すと、
「死を司るのはともかく、呉の皇帝のことなら、わしは知らん」
「そうか」
 楼玄が納得したかのようにつぶやくと、書生風の男は、楼玄のいる庭を見回した。
「粗末だが、それなりに風情もあるだろう?」
「まあ悪くはないかもな。別段珍しいほどでもないが」
 木の枝に数羽、巨大で色鮮やかな鸚哥が止まっていた。
 男は、しばらく黙ったままその鳥に見入っていた。
 楼玄は改めて男に尋ねた。
「それで、私にどんな用なのかな?」
「ふむ、それだ。さっさと本題に入るべきだろう」
「その意見には、私も賛成ですよ」
 楼玄に賛同された後、書生風の男は自分が来た真の目的について語りはじめた。

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 この書生風の男は、生きた人間ではなく死後瘟神(疫病神)となった鍾会(鍾士季)であった。
「わしは今、新しい歴史書を書こうとしている。そこでその調査のためにここに訪ねてきたわけだ」
「ほう歴史書ですか。それは興味がありますね。それで私に用事とは?」
「わしが目指しているのは、これまで誰も書いたことのない形式の歴史書だ」
「どういう形式ですか?」
 楼玄も、歴史書には常日頃関心があったから尋ねた。
「これまでの歴史書は常に未来の非関係者、伝聞を蒐集し整理するだけの傍観者によって書かれてきた。だが、それは怠慢ではないだろうか?」
「怠慢というのは?」
「関係を持たず、伝聞を整理するだけ、ということがだ」
「なるほど?」
「そこでわしは考えた。即ち、関係を持ち、あるいは参加し、直接対話をする歴史書の形式というものを」
「ふむ」
「そういうわけで、今回わしはお前を訪ねてきたということだ。お前に直接会い、直接対話をして、より迫真な〈楼玄伝〉をまず手はじめに書いてみようと思ってな」
「最初の伝に私が選ばれたということなら、なかなか光栄なことかもしれませんな」
「ちょうど伝を立ててもよさそうな人物で一番先に死ぬのがお前だったからな」
「なるほど、そういうことですか……」
「まあ心配するな。わしの聴取が終わるまでは、お前の死は多少ひきのばしてやることはできる」
「おや、ありがとうございます。しかしそういえばあなたは何者なのです? ただの人間ではないようですが」
「わしは疫病と死を司る瘟神の鍾士季だ」
「もしかすると、魏の司徒だったかの鍾士季殿で?」
 鍾会は黙って頷いた。
「そうでしたか。いや、あなたが殺されたことは無論知っていましたが、瘟神になったことははじめて知りましたよ」
「まあそうだろうな?」

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 しばらくよもやま話をつづけた後、再び鍾会は、構想について語りはじめた。
「たとえば、従来の歴史家が赤壁の戦いの曹操について記述する例を考えよう。彼は、曹操が何を考えたかまでは想像で補うことしかできない。だが、決断を下すことが可能な人物が何を考えたか、どう考えたかが歴史に対してまったく無関連であることはありえない」
「まあ、それはそうかもしれないですな」
「伝聞による歴史記述が無責任だというのは、そういうことだ」
「ではあなたならどうすると?」
「赤壁に行き、曹操に実際に会い、彼と対話をするべきだ」
「なるほど。楼玄伝を書くために、今あなたが私を訪ねてきたように?」
「そうだ。華容道で敗走する曹操をつかまえて、〈ひどい惨敗のようですが、今の心境は?〉と直接質問して当人の答えを引き出す」
「ああ、それはおもしろそうですね」
「同じように、夷陵の戦いで命からがら敗走する劉備をつかまえて、〈今回の戦いはやるべきではなかったとお考えですか〉とか、〈今回の敗因はどこにあったと分析されているでしょうか〉などとききだすのも有意義だろう。あるいは、生きている時だけではなく死後の人物に尋ねてみるのもよいだろう。襄陽で圧死した孫堅の亡霊をつかまえて〈うかつすぎだったのではないですか〉と質問する、五丈原で諸葛亮の亡霊をみつけ出して〈北伐は結局成功しませんでしたが、今はどんな気持ちですか?〉ときくとかな……」
「でもどうやってやるんです?」
「うむ、だから現状では過去の人物に直接話をきくことはできないから、こうして、しかたなく諸葛亮たちに比べれば凡庸でつまらないが現在会うことはできるお前のところに来たわけだ」
「なるほど、そういう経緯でしたか……」

          📘

 それから鍾会は楼玄に様々なことを質問し、書き記した。
「……以上でよろしいでしょうか?」
「うむ、まあこれくらいあれば充分だろう。楼玄伝ならこの程度の量で充分だ」
「そうですか。それでも結構私も喋りましたね。いささか喉が痛くなりましたよ。それにもう月も出ている。満月じゃないですか」
「正確には十六日だけどな」
「はは、細かい……」
「細かいことは重要だ」
「確かに。……それでは私からもひとつ質問させてもらっていいですか?」
「まあ聞くだけきいてやろう」
「私はいつ死ぬんです?」
「今月中らしい」
「そうですか。死因は?」
「自殺だ」
「では、私が自殺しなかったら?」
「ひとの仕事を増やすな。迷惑だから。わしかわしの部下の鬼卒がお前に自殺させるだけのことだ。天数は変わりはしないし、少なくともお前ごときにどうこうできるものでもない」
「まあ、そういうものかもしれませんね。では、私はどういう理由で自殺するんです?」
「それについては、お前の自殺には特別にわしが付き添ってやって直接観測するから、その時にわしに心情を吐露すればよかろう。その心情が死後も変わらないか確認するために、お前の魂魄は、他の人間より長めに形を保つようにとりはからってやる予定だ。死後一日目の当人の認識と、一ヶ月後の認識はまた変わるかもしれんからな?」
「そうですか。死にたいわけでは勿論ないのですが、そう言われると多少待ち遠しい気もしてくるような……」
「これほど至り尽くせりな死なせ方をしてやるのだから、ありがたく思うように」
「確かに。ではひとつお願いしたいことがあるのですがよろしいですか?」
「どういう論理だ、図々しい奴だな。だがまあ話くらいはきいてやろう。お前がなにを望むかについても、楼玄伝に収録してもよさそうだしな」
「ええ、そのあなたの楼玄伝、書き上がったら私に読ませてもらえないでしょうか?」
「本気で図々しい要望だな……。とはいえ、楼玄伝を読んだ楼玄の感想もまた楼玄伝に収録したらより完成度が深まるかもしれんが」
「それは間違いないですよ。では、よろしくお願いします」
 そう言うと、楼玄は鍾会に軽く頭をさげた。

                             (完)

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