2017.11.19
3140文字 / 読了時間:3.9分程度
帽子の中のふにゃふにゃな歴史

クリスマスの朝の皇女タラカーノヴァの絵

 19世紀のあるクリスマスの夜。

   ❅

 中国の疫病神鍾会は、このころ中国以外、主にヨーロッパに滞在することが多くなっていたが、その理由の大部分は、彼が当時の中国人の髪型を嫌っていたからである。
 雪が降り積もる純白のロシアのとある酒場の片隅で、その日鍾会は友人でもあるサン=ジェルマン伯爵とトランプをして遊んでいた。
 そうしてウォッカを飲みながら、趣味に合わない髪型の悪口をしきりに繰り返していたのだった。
「……日本の丁髷も最悪だと思っていたが、辮髪はそれに劣らず悪趣味だ。いま中国に行くと、右も左も辮髪、辮髪、そうでなければ女だ。これ以上の地獄絵図はそうそうないといえるだろうな?」
「まあ、個性的な髪型ではあるね」
「中国人を殺す仕事をしに、中国に帰るのが今から憂鬱でならない。いっそ遠隔操作でさくっと殺せるようにできないものか?」
「そういうことが可能な道具を、昔手に入れたことがあるよ、アトランティスで」
「よこせ」
「まあいいよ。君の方が賭けに勝ったら、いいよそれで」
「よし」
「じゃあ僕の方が勝った時に欲しいものも決めよう」
「何だ?」
「部屋に飾りたい絵が、ちょうどこの近くにあってね。飾りたいだけだから、別に買ったりはしてこなくてもかまわない。ちょっと借りてくる、持ち出してくるというので全然かまわないよ。飽きたらまた返せばいい」
「まあいいだろう」
 こうして賭けの条件は成立した。

   ❅

 数時間後の深夜。
 鍾会は降りしきる雪の中を帽子を目深に被り、ひとり早足で歩いていた。
 トランプで負けて、サン=ジェルマン伯爵所望の絵を朝までに手に入れて届けなくてはならなくなったためである。
 ――サン=ジェルマンがイカサマをしていることはわかっているが、その謎がいまだにとけない。おかげで連敗つづきもいいところだ。ついうっかり便利そうな兵器につられて、分の悪い賭けをするんじゃなかったな……。
 目当ての家は、酒場からそう遠くないところにあった。むしろ、目当ての家から一番近くにある酒場だった。
 サン=ジェルマンがそもそもあの何の変哲もないむしろ貧相といっていいような酒場に行こうとわざわざ言い出したのも、もともとこの画家の家から絵を盗み出すつもりだったのだろうと、今となっては鍾会にもすべてが理解できたのだった。
 鍾会はひっそりと寝静まった画家の家に忍び込むと、明かりを灯し、アトリエの中央にあるイーゼルにかけられた絵を手に取った。
 光のなかに浮かび上がった油絵をみて鍾会は首を傾げた。
 ――これは違うな。描きかけの絵だ。よし、わしがひとつ手伝ってやろう。
 近くにあった絵筆をとると、鍾会はそこに勝手に絵を書き加えた。まだはっきりとは描かれていない人物の輪郭の頭上に赤い林檎を載せてみた。
 ――あとは眼帯もつけてみよう。最近、眼帯は気に入っている。モノクルもいいが、どっちにするか……。
 そんなことに悩んでいると、ドアの向こう側で、家の住人のものらしいスリッパの足音が近づいて来るのに気づいた。
 ――面倒だな。光に気がついて、部屋に入ってきたらとりあえず射殺しよう。
 鍾会はコートのポケットに入れてあった拳銃を軽く握ったが、結局足音はそのまま通り過ぎ、誰もアトリエには入ってこなかった。
 ――勘が鈍いのは、無能な人間が長生きする最大の秘訣だな?
 鍾会は眼帯を描き終わると、筆を置いた。
 ――ふむ、ちょっとバランスが崩れているかもな……。まあ、まずければ画家が修正すればいいことだろう。
 それから、鍾会はあらためてアトリエのなかを物色しはじめた。
「皇女タラカーノヴァの絵、皇女タラカーノヴァの絵。何故そんな絵を飾りたいのか、そういえばきいていなかったな。今度一応きいておくか?」
 ぶつぶつと独り言を呟きながら、鍾会は箪笥や抽斗を次々開けていく。
 ようやく鍾会は、布で覆われた皇女タラカーノヴァを描いた目当ての絵を、壺の裏に発見した。

   ❅

 ロシアの画家フラヴィツキーが描いた皇女タラカーノヴァは、幽閉されているサンクトペテルブルクの要塞のなかで、迫りくる洪水の水をなんとか避けようとしてベッドの上に立ち、壁によりかかっている……。

   ❅

 百年ほど前のクリスマスの朝、サンジェルマン伯爵はこの、後の自称皇女のタラカーノヴァとパリで会ったことがあった。
 タラカーノヴァはサン=ジェルマンの部屋を探し出して訪ねてきくると、戸口でいきなり、錬金術を教えてほしいと懇願した。
「……借金を返さないと色々困っているの。あなたは錬金術に詳しいんでしょう。私は、子供の頃から勉強も得意だったし、いつも物覚えがいいって褒められていたからきっと私はあなたのいい弟子になれるはず」
「君は賢いかもしれないけれど、錬金術をマスターする素質はないようだね」
「どうしてわかるの?」
「目を見ればわかるんだ」
「本当に?」
 タラカーノヴァは疑り深い目でしばらくサン=ジェルマンの顔を見上げていたが、やがて肩をすくめて言った。
「やっぱり、駄目なのか……」
「僕は別にもったいぶっているわけじゃないけれどね。ただ、僕の錬金術が体質に合う人間が本当に少なくてね」
「わかった。でも困る……。私、借金を返さないと駄目なの」
「そうなんだ」
「……これ、もしあなたが錬金術を教えてくれるなら謝礼代わりにと思って持ってきたものなんだけど、これで何か知恵を貸してもらえないかしら?」
 タラカーノヴァは小さな箱をポケットから取り出すと、サン=ジェルマンに見せた。
「中身は何?」
「家に残っていた古い指輪。お金に困っているから売ろうと思ったのに、こんなものはゴミだから買い取れないっていうひとばっかりで話にならない。でも。もう死んじゃったけど、家族はむかし、これは魔女や錬金術師なら高く買い取る品だって話してた」
「それは興味深いね」
「じゃあ受け取ってくれる? 買い取ってくれるのでもいいけれど」
「わかった。まず見せてもらえるかな」
 サン=ジェルマンはタラカーノヴァから箱を受け取って開けた。
 なかには古びた指輪が入っていた。材質は金や銀などではなく見慣れない金属であり、宝石等も付いてはいなかった。ただ奇妙な文様が一面に刻み込まれているのが印象的な指輪だった。
「うん、ずいぶん古い指輪だと思う。君の家族はずいぶん良い物を持っていたんだね」
 するとタラカーノヴァは、嬉しそうに微笑んで言った。
「でしょう? やっぱり、有名な錬金術師のあなたならこの価値がわかってくれると思ってた。最後にあなたのことを思い出してよかったわ、ほんと」
「じゃあ、買い取るということでいいかな。ただ、生憎、現金はほとんど持ち合わせていないんだ。金目のものがないわけじゃないけれど……。でもそれよりは知恵を出そうか?」
「ええ、ぜひ」

   ❅

 こうしてタラカーノヴァは、サン=ジェルマンの計画に乗って、ロシアの女帝エリザヴェータの隠し子であり、自分には皇位継承権があると主張するようになったのである。

   ❅

 一方。
 鍾会は、サンジェルマンになぜこの絵を欲しがるか聞くのが面倒になったので、結局その理由は不明のままだった。
 あるいは、鍾会は生前から色々事情があって女嫌いをこじらせ続けていたから、タラカーノヴァが女性であることによって、この件に深入りしたくないと、無意識のうちにでも考えたのかもしれない。
 鍾会はその後、二十世紀ソビエト連邦時代のモスクワのトレチャコフ美術館で、すっかり有名になったその絵の前に立ったとき、久しぶりにこの出来事を思い出したのである。

              (完)

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